Archive for 2009年9月

瞽女宿日記 18

2009/09/23

(1972年)

9月6日の昼宿は、小千谷市桜町大字中村1484、宮川武さん宅だった。
荷を置いて中村をさわぎに出かけた。私も荷を置かせてもらった。
この日は、金子セキさんが三味を弾く日だった。
手引きのおばさんの後を金子セキさんが三味を持って歩いた。
「ごめんなんしょ」と、手引きのおばさんは農家の玄関を開けた。
「なんだい」と、家の中から声がすると、
「ゴゴゴ、いるのし」と、金子セキさんは言って、
三味を右脚の膝に当ててピンコピンコと弾くのだった。

♪ わたしゃ真室川の梅の花 ピンピピンピ
あなたがた この町のうぐいすよ ピンピピンピ
花の咲くのを待ちかねて ピンピピンピ
つぼみのうちからかよて来る ピンピピンピ

短い「真室川音頭」を一つ唄うと、老婆がご飯茶碗に米を入れて出てきた。
手引きのおばさんは米入れの布袋を差し出して、袋に米を入れてもらった。
「ありがとのう」と言って、隣の農家をさわぎに行く。
十円玉を二つほどもらうときもあった。するとおばさんは、
それを唄う番の中静ミサオさんに手渡すのだった。
中静さんは、前掛けの内ポケットに銭をしまい込んだ。
昼になり、宮川さん宅に戻り、弁当を食べた。

中村から荷を背負って、桜町の油新田に向かった。
旅をしていると、宿のことが一番心配になるとのことだった。
「何十年泊めてもろてものう、行ってみんけりゃ分からねぇのし」と、金子さん。
「だすけえ、人の集まりごとがあればのし遠慮するんだんが」と、中静さん。

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9月6日 瞽女宿。
小千谷市桜町字油新田、加藤徳太郎さんのところは稲刈りで留守だった。
農家の玄関は開いていた。金子セキさんは、荷を置かせてもらって、
「町のほうへさわぎに行くかのし」と言った。
小千谷では土川町の田中貞義さんのかあちゃんが軒先でお茶を入れてくれた。
学校から子供さんも帰ってきて、三味唄を聴くのだった。

♪ ピピンピ ピンピ ピンピ
ピンピ ピンピ ピンピピ
ピンピ ピンピ ピンピ……
とおいめでたい 末(すえ)ほど広く
なかにチョイ鶴亀 五葉の松

ピンピ ピンピ
好いた水仙 好かれた柳
こころ チョイ せつぎく 気はもめる

油新田に戻る途中、加藤さんのおばばと会った。
「おばば、まめでいらしたかのう」と、中静さん。
「ああ。まめだったでぇ、待ってるすけぇ」
「おねげえします」と、金子さん。
私は、小千谷の町へ出て夕飯を食べてから、街を歩いた。
そのあと銭湯で時間をつぶし、小千谷の駅で一夜を過ごした。
待合室の長椅子の下に蚊取り線香を焚いて、
翌朝一番の電車待ちの客を装って寝てしまった。

瞽女宿日記 17

2009/09/13

(1972年)9月5日

塚山駅からバスで小国車庫の終点まで行った。
瞽女さんは小国のほうには来ていなかった。車庫の乗務員室で聞くと、
一人の若い車掌さんが、
朝方、千谷沢で瞽女んぼさ三人が乗って七日町で降りたと教えてくれた。
七日町の村は、小千谷方向と小国車庫行きの分岐点にあって、
村の入口には七日町郵便局がある。

この在では、早い稲の刈り入れが始まっていた。
村を歩いていると、ピンコピンコと、三味の音が聞こえてきた。
「カッコウ、カッコウ」と、私が声をかけると、
「ゴゴゴー、ききなれねぇカッコウが来たのし、はい、こんにちは、まめでいたかい」
と、金子セキさんは言った。
「ようくわかったのし」
三国まで行ったことを話すと、
「目明きは便利でいいのし、早くさわげるんだんがのし」と、
中静ミサオさんは言った。
「三日の朝のう、荒瀬のバスのところでぇ、ちぃーと待ってたんだんがのし…
こんだあ、幾日ついてくるんかのし」と言うのだった。
「二週間くらいです」と私が言うと、
「長んげえのう。故郷(くに)の親が心配(しんぺえ)するすけにのう、
銭んこももったいねえ、オラたち置いて、あした東京さ帰んなせえ」と笑った。
私たちは「モウ、モウ」と、牛の真似をしたり、「カッコウ、カッコウ」「ワン、ワン」と、
物真似をして村をさわいだ。
葉っぱの大きい木があって、強い陽をよけてくれた。一息入れて、
八月に会えなかったときの話をした。

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刈羽郡小国町大字七日町286、〈やごいもんさ〉小林清さん宅が瞽女宿だった。
この日は三人といっしょに私も泊めてもらえた。
いつもは、金子セキさんが〈やごいもんさ〉、中静ミサオさんが〈またいんさ〉、
手引きのおばさんが〈ごんしちどん〉宅に泊まっていた。

〈やごいもんさ〉の父ちゃんは、七日町郵便局の局員である。
夕方、瞽女さんが門付けから帰ると三味線を受け取り、
床の間にきちんと二つ並べるのだった。
子供のときから瞽女んぼさの三味線はそうするのだと言った。
「こんだあ、大勢でわりいのうし、母ちゃんも父ちゃんもよろしゅうおねげえします」
と、中静ミサオさんは言ってくれた。
「なんし」と、父ちゃんは言った。
「おらのう、年に二度瞽女んぼさの三味唄きくのがたのしみだんがのう」
父ちゃんは、「七日町に来いば、どこにも泊まらんでぇたよりにして来てくれるのが
豪儀にうれしい」と話してくれた。
そして、「おらんとこの瞽女んぼさ」と言うのだった。

「ええ湯だったでぇ」と、瞽女さんが湯から上がってきた。
私は、瞽女さんたちの後から湯に入れてもらった。電気は付いてなかった。
びっくりした。
「目明きは不便だのし」と、中静ミサオさんは言って、みな大笑いになった。
そして、三人といっしょに座敷で夕餉をもらった。
家族の人たちとは別のお膳だった。

ピピンピ ピンピ ピンピ
ピンピ ピンピ ピンピピ
ピンピ ピンピ ピンピ……

ハアーアー 佐渡の みさきの
あの御所ざくらよ
枝は越後へ 葉は佐渡へ
ピンピ ピンピ……
ハアーアー 来いと言うたとて
行かりょか 佐渡へよ
佐渡は四十九里 波の上
ピンピ ピンピ
ハアー 唄え大黒 踊れよ恵比寿よ
亀の座敷で 鶴の舞い

ピピンピ ピンピ ピンピ
ピンピ ピンピ ピンピピ
ピンピ ピンピ ピンピ……

主は御殿の八重桜 コオオリャ
わたしゃまた 垣根の朝顔よ
からみたいとは おもえども コオオリャ
御殿の桜にゃ およばない
ハアー どんとこい どんとこい
ピンピ ピンピ
わたしゃ まむろ川の花電車 コオオリャ
お客なら乗せます どなたでも
ましてあなたのことなれば コオオリャ
おあしなど とらずに ただのせる
ハアー どんとこい どんとこい
ピンピ ピンピ
今日は日も良い 天気も良いし コオオリャ
恵比寿 また大黒 舟遊び コオオリャ
大鯛小鯛を釣り上げて
釣り竿かついで 踊りこむ
ハアー どんとこい どんとこい
ピンピ ピンピ……

この日は中静さんが三味を弾く番だった。
一夜の宿のお礼に、〈やごいもんさ〉の家の人の前で瞽女さんは唄うのだった。
瞽女さんは自分たちの稼いだ米を、夕餉と朝餉と弁当の分として出し、
宿の母ちゃんやおばばに炊いてもらった。味噌汁とオカズと漬物はもらった。
金子さんは、「おらたちの米こはよせ米だすけに」と言った。
村の人々は、「瞽女んぼさの米は精が良くて、
子供に食わせると風邪ひかねぇだんがのう、不思議だのう」と言った。

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朝、農家の木々で雀がチュンチュンと鳴く頃、
金子セキさんも中静ミサオさんも手引きのおばさんも目を覚ますのだった。
六時前には旅の支度をした。
「近くに来たらのう、年に何度でも泊まりに来てくだせぇ」と、父ちゃんが言った。
「ありがてぇのう」と金子セキさんが言った。
私にも〈やごいもんさ〉の母ちゃんは、大きな梅干入りの、
海苔で巻いたおにぎりを三つ作ってくれた。ありがたかった。

七日町のバス停から小千谷行きに乗った。
トンネルを越えて、すぐに八幡様で下車した。
稲穂の垂れた畦道を通って中村という村に入った。
手引きのおばさんを先頭に中静ミサオさん、金子セキさんが続いた。
その後を私は歩いた。

瞽女宿日記 16

2009/09/11

(1972年)9月4日

信越線の塚山駅で降りて荒瀬の村に行った。
村の人は、(瞽女さんたちが)3日の朝方、小国行きのバスに乗って行った、
と話してくれた。
私はその日は西谷の「しぶみ館」に泊まった。
二食に昼食のおにぎり二つ付いて一泊1600円で泊まれた。

その晩、「しぶみ館」のおじじ(内山武司さん)は、
近在の地理が飲み込めない私のために、地図を描いてくれた。

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瞽女宿日記 15

2009/09/02

(1972年)8月20日

東京・中野の桜ロッヂングから、金子セキさんの実家に電話をした。
電話口で金子さんは8月12日に山屋の実家に帰ったと言った。
8月の24日から28日まで西谷の、こんどは「中生館」に湯治して、
9月1日か2日に旅に出るとのことだった。
「9月ののう3日か4日にのう、荒瀬から塚山駅の辺りを歩いているでねえか」と言った。

(次回は9月4日から18日まで)