(1972年)
9月6日の昼宿は、小千谷市桜町大字中村1484、宮川武さん宅だった。
荷を置いて中村をさわぎに出かけた。私も荷を置かせてもらった。
この日は、金子セキさんが三味を弾く日だった。
手引きのおばさんの後を金子セキさんが三味を持って歩いた。
「ごめんなんしょ」と、手引きのおばさんは農家の玄関を開けた。
「なんだい」と、家の中から声がすると、
「ゴゴゴ、いるのし」と、金子セキさんは言って、
三味を右脚の膝に当ててピンコピンコと弾くのだった。
♪ わたしゃ真室川の梅の花 ピンピピンピ
あなたがた この町のうぐいすよ ピンピピンピ
花の咲くのを待ちかねて ピンピピンピ
つぼみのうちからかよて来る ピンピピンピ
短い「真室川音頭」を一つ唄うと、老婆がご飯茶碗に米を入れて出てきた。
手引きのおばさんは米入れの布袋を差し出して、袋に米を入れてもらった。
「ありがとのう」と言って、隣の農家をさわぎに行く。
十円玉を二つほどもらうときもあった。するとおばさんは、
それを唄う番の中静ミサオさんに手渡すのだった。
中静さんは、前掛けの内ポケットに銭をしまい込んだ。
昼になり、宮川さん宅に戻り、弁当を食べた。
中村から荷を背負って、桜町の油新田に向かった。
旅をしていると、宿のことが一番心配になるとのことだった。
「何十年泊めてもろてものう、行ってみんけりゃ分からねぇのし」と、金子さん。
「だすけえ、人の集まりごとがあればのし遠慮するんだんが」と、中静さん。
9月6日 瞽女宿。
小千谷市桜町字油新田、加藤徳太郎さんのところは稲刈りで留守だった。
農家の玄関は開いていた。金子セキさんは、荷を置かせてもらって、
「町のほうへさわぎに行くかのし」と言った。
小千谷では土川町の田中貞義さんのかあちゃんが軒先でお茶を入れてくれた。
学校から子供さんも帰ってきて、三味唄を聴くのだった。
♪ ピピンピ ピンピ ピンピ
ピンピ ピンピ ピンピピ
ピンピ ピンピ ピンピ……
とおいめでたい 末(すえ)ほど広く
なかにチョイ鶴亀 五葉の松
ピンピ ピンピ
好いた水仙 好かれた柳
こころ チョイ せつぎく 気はもめる
油新田に戻る途中、加藤さんのおばばと会った。
「おばば、まめでいらしたかのう」と、中静さん。
「ああ。まめだったでぇ、待ってるすけぇ」
「おねげえします」と、金子さん。
私は、小千谷の町へ出て夕飯を食べてから、街を歩いた。
そのあと銭湯で時間をつぶし、小千谷の駅で一夜を過ごした。
待合室の長椅子の下に蚊取り線香を焚いて、
翌朝一番の電車待ちの客を装って寝てしまった。